太平洋戦争で亡くなった人数は? 全戦没者310万人のうち1944年以降の戦没者は281万人にのぼり、91%が戦争末期に犠牲となっている(吉田裕「日本軍兵士」中央公論、2017年-東京新聞大図解「戦没者データでみる太平洋戦争」2021.8.15)。 B29搭乗員の戦死者数は? B-29損失数の各種統計 日本本土を爆撃したB-29 延べ出撃機数に対する損失率 1.45% 作戦中の破損機数 2,707機 投下爆弾 147,576トン 搭乗員戦死 3,044名 キャッシュ 特攻隊で亡くなった人数は? 日本側の特攻戦死者は、「(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍2531名、陸軍1417名、計3948名である。 B29はどこから飛んできた? 1944年11月24日 マリアナ基地からのB29爆撃機が東京を初空襲(本土空襲の本格化) 最も人が死んだ戦争は? 第一次世界大戦は近代史で最も破壊的な戦争の1つでした。 1,000万人近い兵士が戦死し、この数字はそれまでの100年間のすべての戦争における軍人の死者数を遥かに超えていました。 2,100万人が戦闘で負傷したと推定されています。 日本の戦争で亡くなった人の数は? 15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(63年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。 B29 何がすごい? B-29爆撃機は太平洋戦争後期に登場したアメリカの大型戦略爆撃機で、出力2200馬力のエンジン4発を装備し、長距離飛行能力に優れていることから、中国大陸奥地、もしくは中部太平洋のサイパンやグアム、テニアンなどの島々から日本本土へ飛来し無差別爆撃を実施しました。 焼夷弾とは何ですか? 焼夷弾しょういだんとは? 焼夷弾は爆弾ばくだんの一種いっしゅで、中に油あぶらが入っており、地面に落ちると燃もえて周り一帯いったいを焼きつくします。 木造もくぞうの家が多い日本の町を焼き払うため、爆発力の大きな火薬かやくではなく、よく燃える油をたくさん詰めたこのような爆弾が開発されました。 特攻隊を考えたのは誰か? 大西瀧治郎は兵庫県氷上郡(現丹波市)青垣町西芦田に生まれ、地元の柏原中学から海軍兵学校に進んだエリート軍人です。 海軍中将として、太平洋戦争で日本が負け戦に追い詰められた際、“最後の手段”として「特攻隊」を作りました。 神風特別攻撃隊の発案者は誰ですか? 隊名の発案者・猪口力平によれば、「神風」の読みは音読みの「しんぷう」であるが、当時のニュース映画で訓読みの「かみかぜ」と読み上映したことでその読みが定着した他、アメリカ軍が神風を読み間違えて「カミガゼ」と呼んでいたので、戦後、カミガゼと連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が統制したという。 B-29の弱点は何ですか? 東京をはじめ日本各地を空襲した大型爆撃機B-29。 その弱点は、B-29の特徴でもあったターボによる過給だったともいわれ、エンジントラブルをよく起こすことでも知られていた。 終戦間近1945年5月26日、足立区内にB-29墜落と公式記録が残っているという。 人類史上最悪の戦いは? ダントツで第二次世界大戦ですね。 第一次世界大戦やそれまでの戦争はあくまでヨーロッパやアジアなどの一部地域が主戦場だったものの第二次世界大戦はヨーロッパ、アジア、アフリカなど世界各地が主戦場であり、その死者数も最大で8500万人とまさしく人類未曾有の大戦争である事が分かります。 史上最大の戦争は? 日本、ドイツ、イタリアは、1940年9月に「三国同盟」を結び、つながりを強めていきます。 第二次世界大戦は、南北アメリカ大陸を除くほとんどの地域を戦場とする、史上最大の戦争へと広がっていくのです。 世界で一番死者が多い戦争は? 第一次世界大戦は近代史で最も破壊的な戦争の1つでした。 1,000万人近い兵士が戦死し、この数字はそれまでの100年間のすべての戦争における軍人の死者数を遥かに超えていました。 2,100万人が戦闘で負傷したと推定されています。 B-29 何を落とした? 464機のB29が3258トンの焼夷弾と4トンの爆弾を投下しました。 被害は、罹災家屋約16万戸、罹災者約56万人で、死者は警視庁の調べでは3242人、東京都の調べでは3352人です。...
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